221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 飲み会だの打ち上げだの、自分の意思だけで一緒にいるわけではない人々と過ごす「なんとなく楽しいっぽい集い」が僕は好きじゃない。その際たるものの一つである忘年会のシーズンがやってきて、ついこの間の金曜日に強制的に参加させられることとなった。正式な使い分けは知らないけれど、なんだか「参列」という表現のほうがしっくりくるような気がする。冠婚葬祭と同じ、シンプルに義務でしかない時間が持つ薄暗い雰囲気を纏っていたので。

 不幸中の幸いというべきか、わざわざ足を運ばないと気づかないような会場の端っこで一緒にポケモンで遊んでいられる人間が、それも複数存在したので、参列の記憶を追いやりながら一日を終えることになんとか成功した。そんなふうに「社会」から身を潜めて自分たちの時間を取り戻そうとしていると、だいぶ序盤に校庭からフェードアウトしてひたすら人狼に勤しんでいた中高の体育祭を思い出してしまう。社会不適合を自称することは、むしろ自己防衛的であったり、「他人とは違う自分」のアピールのように思えたりするので避けたいのだが、残念ながらそう呼ぶべき空間のほうがずっと居心地が良く、これまでそしてこれからもきっと、そうやって難を逃れるのだろうと改めて突きつけられた。

 とは言ってみたものの、身の回りで忘年会を楽しみにしている人間をひとりも発見できていないので、もしかしたらその両者を並列して比較するのは体育祭に失礼かもしれない。や、じゃあ一体どうして開催されてるんだこいつは。

 

 忘年会は冠婚葬祭みたいなものだと最初に書いたが、それは良い意味でも捉えることができて、いわば通過儀礼なので終わったらそのまま終わってくれるものなのである。一方で、日常の労働は一度終わったところでまだまだ終わらない。これがどうにも人生と能力の浪費としか思えなくて、これまでの12月と比べて『Merry & Happy』もよっぽど空虚に響いてしまう。

 例えばついさっき、M-1の優勝者が決定した。ありきたりでにわかな感想を言えば、彼らの今日までの蓄積を思うと素直に祝福したい気持ちになるのだが、それと同時に、今のままで自分が何かを成し遂げる日は来ないことを直感するのである。この世界に何か爪痕を残したいという意味ではなく、爪痕を残さないのに手元にも何も残らないこと、無駄にしかならない時間を憂いたくなるのだ。

 だから、そろそろ終わろうと思う。