221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202208_2

 仕事の関係でアイドルに会うことになった。正直な気持ちを書くなら、自分の意思で好きになったアイドルではなく、外部からの避けられない力によって不可抗力で深く知ることになった存在であり、胸を張って推しと言えるようなメンバーがいるわけではない。だから、普段参戦しているコンサート、あるいはかつての握手会やハイタッチ会で抱いてきたような高揚感は自分の中に生まれないと、そんなふうに思っていた。

 とはいえ、どんな経緯であろうと、アイドルオタクが新たなアイドルを知ることはある意味すごく危険である。アイドルを「好きだ」という感情や視点からしか見慣れていないというのは、良いところばかりを見つける特殊な訓練を日々積んでいるようなものであり、出会った時点で無関心な状態だったとしても、出会ってからの道中で好きなポイントを探すことに長けてしまっている。これは、新たなグループがデビューしてMVを見に行くときに感じる恐怖と共通した要因なのだが、推すまでは行かなくとも「気になる」くらいの段階には割と弱めの力で傾きかねないのである。

 そう、結論から言うと、今から会えるんだと自覚した瞬間、同等とは言わないまでも、これまでの人生でパシフィコ横浜幕張メッセで感じてきた独特の感情を自分の中に捉えてしまった。当然のようにかわいくて、目が合ったときの特有の『SIGNAL』も強烈だった。アイドルを好きになって最初の頃は「ある個人の顔を好きになり、その個人が偶然アイドルだったから、結果的にアイドルオタクに分類されている」という自意識を持っていたのだが、時間が経つことによる積み重ねがそれを風化させ、気づけばアイドルを好きになりやすい、いわゆる汎用性の高い「アイドルオタク」になっていたのだと最近は自覚している。

 

 ただ大きな違いとして感じたのは、彼女たちが頑張っているから自分も頑張ろう、という気持ちにはなれないということである。ファンであることとは完全に別種の、直接的に「アイドルを頑張らせている側」に立ってしまったからだ。そうやって表現される形式でモチベを持つことは、お互い無理に体重を預けあっているような感覚や「お互いに頑張らない」という選択肢に対して見ないふりをしているような心地になった。一体誰のための何なのか、わからなくなっていく気がした。

 自分はここには長くいられない。いつもと違って余韻の残らない夜に、そう思った。