221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202212_4

 Twitterの四角いアイコンを見かけたとき、いいねがふぁぼと呼ばれる星だったあの頃のことをふと思い出した。まだスマホを持っていなかったから、毎日自宅のパソコンからTwitterにログインするしかなくて、タイムラインに夜だけ現れるアカウントをやっていた。時間の限定性が良くない方向で作用し、ノータイムでツイートを連投しては、いわゆるエアリプで同年代のアカウントたちと馴れ合う。そんな夜は公共の場であることを忘れさせ、少しの検索力さえあれば特定されかねないラインまで情報を垂れ流してしまうリテラシーで呟きを重ねた。そしてこのツイートスタイルは今とは比べ物にならないほどのふぁぼを生み、フォロワーを生み、リプライという関係性を生んだ。目に見える数値が増えていくのは分かりやすく嬉しくて、毎晩楽しくツイートをしているだけでそれが手に入るのだから、Twitterは当然のようにどっぷりとはまって抜け出せない世界になっていく。

 今もここでブログを書いているけれど、文や文章を書くという行為自体が好きであり、その嗜好はあの頃から大きく変わらない。タイムラインという狭い世界の中には、実際に自分のツイート内容を褒めてくれる人もいて、増えていく数字たちは自分が好きに紡いだ言葉に対する評価のようだった。いま思えば、まだしっかりとラベリングされていなかった「承認欲求」のど真ん中を満たしてくれる時間だったのだろう。問題の多くは満たし方にあって、承認欲求それ自体を悪とするのは過剰だと感じるのだが、現在の自分よりは確かに満たされていて、確かに歪んでいたように思う。

 

 そこから紆余曲折を経て、関係性をミニマライズする方向転換をしたのだが、色々なものが変わってきた中で相変わらずオタクをしている現在があの頃からの積み重ねの上に成り立っていると思うと、黒歴史と切り捨ててしまうのは勿体無い気がする。『When We Were Kids』で歌われている過去の自分への愛とは、きっと必ずしもKidsにまで遡らなくてもよいのだと僕は解釈している。

 きっと全く関係ないのだが、今週は埼玉の路線バスの旅を見て、LE SSERAFIMの曲をよく聴いた。久しぶりにアイドルの写真集も買ってしまった。少しだけ昔を生きているような時間があった。そこに善悪はなくて、強く変わらずにいることも、柔軟に変わることも、どちらも難しくてどちらも寂しい。