221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 この1年間一緒に働いてきた同期が、会社を去っていった。部署も職種も同じ唯一の同期であり、いつもすぐ近くで仕事をしていたし、昼休みのランチや、ときには飲み会という名の夕食の時間もよく共に過ごしてきた。そうやって親しくしていた同期がいなくなるのは寂しくないかと周りから訊かれるけれど、本当に自分が感じざるをえないのは、端的に寂しいという言葉で表しきれる、一般的に別れの場面でありがちな感情ではなく、あえて言えば喪失感のような、当たり前に存在していたものがある瞬間にすっかりと消えてしまったときの、戸惑いや不安に近い感情のように思う。その人に会えないこと、話せないことに対して生じるのが寂しさで、それはプラスがゼロになったという事実に向けられると思うのだが、当たり前が欠落する、すなわちゼロがマイナスになったときに感じさせられるのが、いま抱いているなんとも処理し難いこの感情である。昨日までと同じように日常が続いていくのに、それは昨日までの延長線上にはなくて、人が死ぬときってこういう感じなんだろうな、と思った。

 日陰で人生を送ってきた弊害からか、春は出会いと別れの季節だとか、同期の絆だとか、人間関係を舌触りだけが取り柄みたいな言葉で良いように表現するのは、正直聞くだけでもつい嫌気が差してしまう。冗談半分、いや、思えばお互いに9割くらい真剣だったのかもしれないが、よく二人で仕事を辞めたいと話していて、向こうが少しだけ先にしんどさと訣別していっただけだ。僕たち二人の関係性もそんなキラキラしたものではなく、同じようにアイドルが好きで、食の好みが似ていて、話題がなくても話せるというただそれだけで、そして、それだけなのが良かった。

 

 最後の日、居酒屋に同期のほぼ全員が集まり、普段みたいな時間を過ごした。そんな普段を終わらせたくなくて終電を逃し、カラオケでできる限り今日を続けた。明るくて暗いままの5時の渋谷駅で、別れを惜しみながら僕たちは散り散りになっていき、奇しくも最後にその同期と二人きりになったのは僕だった。始発電車に揺られながら、今夜の話をして、初めて会った日の話をした。電車を降りていく同期——彼女にかける言葉は見つからなかったし、特別かけるべき言葉もきっとなくて、いつもみたいな冗談混じりの会話と、適当な「じゃあね」で別れを告げた。

 雨音と『Feel Special』のよく似合う夜だった。