221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202302_3

 ソシャゲのサービスが終了するたびに見かける「課金全部無駄じゃん」という旨の発言、ふと冷静に考えてみた結果、だいぶすごいなという気持ちになってきた。発言者のベースにある意図としては、サービス終了によってこれまで課金によって手に入れてきたアイテム等の全てがデータとして「消える」ため、結果としてその課金は何も手元に残らないただの無駄金になってしまう、という話なのだろう。サラッと字面だけ追ってみると、言わんとしていることはわからないでもない。しかし、この発言の根本には、課金の目的をアイテム(以外もあると思うが、ここでは汎用的にアイテムと表現する)の入手としてしまっているという大きな問題があり、これもよくある反論ではあるのだが、課金によるアイテムの入手によって、ステージをクリアできたり、高順位を獲得できたりという、より豊かな体験や時間を間接的に「購入」しているという観点が完全に抜けているのだ。

 そして、体験や時間に対してお金を使うという主張を許さない立場にある場合、永久に手元に残るモノ、あるいは生命維持に必要なモノへの課金以外、全てのお金を使う行為を無駄としないと嘘になるはずだ。食事は美味しいという体験に金を割くべきではないので、生きていける範囲で最も安価なもの以外は無駄であり、旅行は結局自宅に帰ってくるという観点から言えば、その交通費は明らかに無駄である。

 というのは当然極論ではあるが、サービス終了を特異的に無駄と感じてしまう原因はおそらく、わかりやすく「消える」瞬間が目に見えることによって、これまでかけてきた金が「消える」ように感じられるからだろう。これは、かつて趣味で集めていたグッズやらを捨ててしまう瞬間に感じる、過去の浪費(ただし、これは現在の自分から見て浪費なだけで、当時の自分には確かに豊かな時間が流れているのだから、浪費と切り捨てることは正しくない)への後悔によく似ている。ただ逆に言えば、目に見える形でその瞬間まで残っていたからこそ喪失が生じているのであって、そうでない他の体験、例えば先ほども挙げた食事や旅行などは、その場で消費したり、徐々に風化したりするがゆえに、喪失に意識が向かないだけなのだと思う。

 要するに、何のオタクをしていても、体験と時間、言うならばある瞬間の幸せにお金を使うという感覚を大事にしたいのである。全ての瞬間は『First Time』なので。