221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 「趣味にどのくらいのお金を使いますか?」という質問に含まれるニュアンスは、その人の趣味に対する熱量、つまりは「趣味というものをどのくらい大事に思っているか」という点が中心的であるように聞こえる。確かに、お金は全ての物事を同じ土俵に落とし込む基準として非常にわかりやすく、その人の価値観を表す指標となりうるだろう。しかし実際のところ、趣味に対する消費金額というものは単なる熱量の表れではなく、少なくとも「熱量 × 趣味の種類」によって定義されるべきものだ。例えば、旅行が趣味の人間と、読書が趣味の人間がいたとして、彼らの熱量を使っているお金から比較することがナンセンスなのは言うまでもない。

 この定義もかなり簡略化されたもので、他のさまざまな要因も多数絡んでいることは前提としてほしいのだが、ここで言いたいことは、とりあえず趣味の種類という変数の、消費金額に対する重要性である。そして、アイドルオタクという「趣味の種類」が変化したのではないか、という話だ。

 

 アイドルオタクは、お金がかかる趣味の代表格として見られてきた節があるように思う。なんなら今もお金がかからないわけではないのだけれど、以前ほどは使わなくなった、いや使えなくなったという感がある。TWICEで言えば、ハイタッチ会がオンラインお話し会になり、そこで得られる時間の価値が、正直同じCDを大量に積むほどではなくなってしまった。あの延々と『BDZ』を聞かされ続ける待機列に並ぶ日は、もう一生訪れないのだろうと思うと急に恋しくなる。コンサートも減って、たとえお金と時間が作り出せたとしても遠征をする機会自体が少ない。

 こうしてこの数年で、アイドルオタクは消費金額が爆上がりするタイプの「趣味の種類」から一歩引いた位置へと性質を変え、「アイドルオタクなのであまりお金を使わないんですよね」という、少し前まではあり得ない順接も場面によっては成り立つようになった。この変化による感情は、お金が手元に残る嬉しさよりも、好きな体験を失う悲しさはもちろん、趣味への出費という清々しい行動を取れないもどかしさが大きく、逆算的に自らの熱量が低くなったという錯覚すら覚えさせられるように思う。

 

 ......という空気が薄れつつある。いよいよ日本各地でNiziUに会えるらしい。

 熱量も増すというものだ。申し込むことは決まっているのに、僕は値段をよく知らない。