221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 パルデア地方にいるので、本当にこの現実世界からは隔離されてしまっている。というか、パルデア地方の全てを自分の目で確かめたいが故に徹底的に自らを隔離している、というのが正確な実情なのだが、とりあえずここ数日この世界で起きた出来事についてはほとんど知らないと言ってもいいのではないだろうか。日常的にTwitterを主な情報源としているので、完全に開かないとこうも何も入ってこないものなのだと、その依存度に我ながら呆れてしまう。

 Twitterを開くためにはどうすればいいかというと、ストーリーをクリアする必要があるのだが、少し触ってみて(ここで言う「少し」とは10時間程度のことを指す)どうやら先は長そうだぞ、と言うのがわかり始めてきた。だから、本当はこの記事を書いている時間もポケモンにあてて、一刻も早くパルデア地方を踏破するべきなのだが、如何せんフルのオープンワールドは目が疲れる。連続で長時間プレイするという「当たり前」がシンプルに肉体的な負荷によって難しくなっており、この記事を書くことを含め、仕方なく発生する休憩に普段やっている他のこと(ただしTwitterなど情報に触れることを除く)をするしかないのである。ただむしろそのおかげで日常生活の滞りが少しだけ緩和されている部分もあるので、この眼精疲労は日常を送れという間接的な指令のようでもある。

 東京ドームの感想も書きたいし、再開したTTTも見たいのだけれど、ポケモンの新作ストーリーが有しているのは「知らない」ことが生み出してくれる感動であり、そして数年ごとにしか訪れない手放してはならない感情でありながら、しかし「知る」ことばかりが容易なこの時代だと失われやすい経験なのである。一度失ったら戻らない不可逆的なものには敏感でなければならないと僕は強く思う。だからどうにも気を抜けない。

 

 しかしまあ、新作はやれることが多すぎて恐ろしくなる。ストーリーがゴールを目指す迷路だとしたら、僕は全ての行き止まりに立ち寄りたいタイプなのだが、どの分かれ道も行き止まりまでがあまりに広大で一度進むと分岐点に帰れないほどなのだ。ゲームが進むようにルートを引いて作られた世界ではなくて、元から存在する世界をゲームに使っている感覚に近い。そういう意味でゲーム的な『Perfect World』とは違っていて、だからこそ無限に楽しめる完璧な世界なのかもしれない。