221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 今週末にかけて、ポケモンの世界大会が行われた。大会出場の切符をかけた予選に一応出場していた(そして敗北した)ので、どこか使命感に近い感情とともに決勝戦を見届けながら、画面の向こうの世界に対して、どのくらい遠くて、どのくらい近いものなのかと、考えを巡らせていた。来年こそは、などと毎年夏のこの時期には思うのだが、日が経つにつれて薄れてしまうような部分は否めなくて、よくない意味で『In the summer』の「Summer この夏の瞬間残して」という歌詞が沁みてしまった。本当に残しておいてほしい。

 そして、来年のポケモンの世界大会は横浜で開催されるらしい。行こうと思えば見に行けるので嬉しい限りなのだが、そんな低次元の喜びを感じているようでは自らの選手としての参戦が遠のく気がしたので、緩みそうになる表情をおさえてどこか無理やり気を引き締めようとしているところである。というかもっと言えば、横浜という地は中高生の頃に同級生といつもポケモンをして遊んでいた場所でもある。だから、そこで他人のポケモンバトルを見ることよりも、自分がポケモンバトルをするということにずっと大きな意味があるのだ。

 もちろん、それが現実的に難しいことも事実として横たわっている。たくさんの戦いを勝ち抜く必要があるし、そのための準備にはたくさんのエネルギーと時間が必要で、いまの自分にそれが簡単に可能であるとは少し考えにくい。ちょうど、ひょんなことからどこかでアイドルと出会って、これまたひょんなことから何かの事情で話す時間が生じるような、そのくらいの非現実感と、そのくらいの想像してみたくなるシチュエーション、というだけである。

 

 ......冷静に考えてみると、自然発生的に生まれるポジティブな想像あるいは妄想というものは、当然自分が持っている希望と紐づいているはずなので、アイドル云々の話はアイドルオタクではない大多数の人間にとっては適した例ではない気がしてきた。かといって、宝くじに当たって云々といった刺さる規模を広げただけの例を出すというのも、この温度感が全く伝わらないので良くない。いや、その前にアイドルオタクですら全員がこれを考えるわけでもないかもしれない。

 たまにふと想像してしまう、現実の延長線上に寄せた非現実的な場面はありますか?

 そうです、そのシチュエーションに対する思いが、いま僕が伝えたい気持ちです。