221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202208_4

 これまでTWICEのカムバについて書いてきておいて、いざカムバした週に何を突然、という話になってしまうのだが、それについてはまた別の場所で書かせていただくとして、友人と映画館に『ディアルガVSパルキアVSダークライ』を見に行った。実はこの映画、公開当初も映画館に見に行っており、映画館でときのほうこうとあくうせつだんを覚えたダークライを受け取ったことをよく覚えている。「ほうこう」を方向のことだと思い、「あくう」についてはその意味すら考えていなかった、そんな頃の話である。

 人生で初めて買ったゲームが『ポケットモンスター・パール』であり、つまりは自分がポケモンというコンテンツにようやく触れ始めた時期の映画がこれだった。だから、ポケモン映画10周年と言われても、そこまでに流れていた10年という時間についての理解は不十分で、アニメや映画の中でサトシが旅をしてきた世界の空間についても、連続的に捉えられていないような状態だったように思う。だから、ミュウツーからマナフィまで、過去の映画の主人公ポケモンたちが躍動するという素晴らしい開幕を憶えていなかったし、当時のオープニング曲をバックに繰り広げられたバトルから強烈に感じさせられる「シンオウ地方」のオーラを改めて目の当たりにして、ダークライが登場するずっと前から当時とは違う情緒の揺さぶられ方をしてしまった。

 かつて『ポケモンサンデー』という番組があり、その企画としてしょこたんとロバートが初めて声優に挑戦した映画もこの作品である。同世代のポケモンファンはきっと全員、彼らが声優を務めたキャラクターがずらりと登場するシーンで心が弾み、秋山隊員が何度も録り直した「エンペルト!冷凍ビーム!」にあの頃の全てを思い出させられるはずである。まさにこれが懐かしさというやつか、と思った。

 今もなお多くの場所であらゆる争いに参戦させられている不憫なダークライは、本編でもそれと似たような立場で、当時はぼんやりとしか理解していなかったであろう彼の能力が持つ悲哀や、人々の愚かさを僕に考えさせる。クライマックスのオラシオンだって、自分のより深いところまで届くというものである。

 

 毎日聴いている『Talk that Talk』も、今ここではない「いつかどこか」で聴いたとき、現在と同じ感情を呼び起こすと同時に、別の感情を湧き上がらせながら、自分の中にまた響くのだろう。