221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 何を言っているんだ、と呆れられることは承知であえて書かせてもらうと、抽選の結果というものは大抵見る前に分かる。クレジットカードの引き落としで事前に分かるといったトリック的な話や、人数を統計的に分析して分かるといった論理的な話ではなくて、申し訳ないが単純にオカルト的直感とも言うべき「感覚」によって分かると言っている。より正確を期して言うならば、落選するかどうかがわかる、と表現するのが良いだろうか。自分の場合は、多くがアイドルのチケットであったり、それを抽選と呼んでいいのであればCDに封入されたトレカであったり、そういうものの当落をここでは指しているのだが、全てにおいて「落選」するときはその結果を目にする前のどこかのタイミングで、心臓の辺りからぼやっと赤黒い波のようなものが全身に届いていくのを感じるのである。『Wake Me Up』の開封時はこれを感じ続けていたので最悪な気分だったことを今でも覚えている。とにかく、この言葉にはしがたい嫌悪感が訪れたときには、ほとんど必ずと言っていいほどしっかりと落選するし、これを感じることなく緊張感だけが佇んでくれている場合にはめでたく当選する。あまりに非科学的であり、自分としても勘違い、あるいは脳の錯覚的なものであってほしいのだが、実際にピンときてしまうのだから仕方ない。

 

 だから、その兆しを一切感じないまま迎えることができたTWICEファンミの当落発表、そしてNiziU東京ドーム初日の当落発表は僕にとって極めて平和的で、それはまるで息をするように当選する、といった感覚に近かった。だからもはや落選するわけがないとすら思っていたのだが、ただそれでも当選が確定した瞬間の喜びといったら、やはりこれに代わる衝撃や爽快感はないな、と毎回感じさせられる。全身の神経が、その喜びを身体の隅々まで届けるという仕事だけに一瞬だけ集中するような、いわゆる生の実感がそこにはある。当選の決定は、未来のある一時点に光の柱をスパンと立ててくれて、その光が日常を生きていく道標になってくれるように思うのだ。

 代々木第一体育館でNiziUに会ったばかりで、その前には東京ドームでTWICEと会ったばかりなのだが、その二組にそれぞれ入れ替わった場所で会えることが決まり、それがどちらも嬉しい知らせというのは少し不思議で、特別なことなのかもしれない。会えるその事実に心から感謝。