221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202210_3

 秋などという季節は存在しないかのように、汗ばむ陽気の翌日には上着を羽織っているという急転直下の外気の変化にさらされながら、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 なんて言ってみたものの、目に見えたり肌で感じたりする変化だけが秋の訪れではないように思う。秋に物寂しさという感情を最初に当てはめたのが誰なのかは知らないけれど、どうもこの時期になると、夏にも冬にも流れることがない、どこかローな雰囲気が身体の中を彷徨い始めるのを感じる。それゆえに、さまざまな意味でフットワークがズンと重くなったり、はたまた何もしないことに居心地の悪さを覚えたり、毎年ふとした瞬間に「足りなさ」と出会いがちなのがこの時期で、気温にはそれを感じられずとも、今年も秋が来たなと思わされている。試しに調べてみたら、日照時間が短くなって体内のホルモンバランスが変わるだとか、社会のシステムとして春や夏に比べて刺激が減るからだとか、いくつかそれらしい理由が並べられていた。実際にそれらの理由は正しいのかもしれないけれど、なるほどね!と納得感を持ってこの話をすっぱり終わらせることができずに、うーんなんだかなぁと消化不良なままページを閉じるのがこの秋という季節なのである。

 その中でも2018年の「足りなさ」は比較的悪い意味で格別で、今でも『AFTER MOON』を聴いたときにふと泣き出したくなる理由の一つは、あの秋が詰まっているからだと思う。大学の帰り道、車窓から見た夕暮れがどうしても脳裏に浮かんでしまう旋律で、別に何かが具体的に辛かったわけでもないのだが、思い出の中で色がついているのはもはやTWICEだけというそんな時期だった。TWICE7周年のカムバを振り返る映像を目にしたとき、いちばん最初に思い出させられたのがこの2018年の日々で、極めて一方的で主観的ではあるのだけれど、共に存在したという実感がものすごく強かったからなのだろう。そんな思い入れがない人でも、最近聴いていないという人は是非聴いてみてほしい。歌詞も旋律も素晴らしいので。

 

 7周年。幸せなことに、TWICEを失う日は訪れなかった。こうしてずっとそばにいてくれるので、その存在を「当たり前だと思わない」ことは案外難しいと僕は思う。でもあの秋を思うと、その特別さだけは身に沁みるのだ。

 

 you and I you and I you and I

 언제나 곁에 있을게