221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 カムバックを最初にカムバックと表現した誰かは偉大だ。

 新曲を出すという事象が分かりやすく持つ「新しさ」にパッと飛びつくことなく、まず一度かつて新曲を出した「過去」に想いを馳せたうえで、彼らが、彼女たちが、そしてあの時間が我々の元に帰ってくるんだという風にこれからの時間を捉える。だからカムバックという言葉は、決して刹那的ではなく、連続的な時間をしっかりと踏まえたニュアンスを秘めていて、それは新曲と新曲の狭間にある、ただ推しを好きであり続けたなんてことのない我々の日常を、特別な時間と等しく大事にしてくれているように響く。

 もちろん、カムバックと呼ばれることになった現実的な経緯としては、アーティストが新曲を発表する期間以外には目立った活動をしないという、韓国音楽業界の事情があるのだろう。ただ、SNSYouTubeなどでの継続的な発信あるいは日本での活動など、新曲を出した直後以外にも何かとその存在を感じられる機会が増え、かつてほど「カムバック」感の薄れた現在においてもその名残でカムバックと表現されているということが、推しの新たな姿を待ち焦がれるファンの『Heart Shaker』な心理と絶妙にマッチしていて、訪れる時間の嬉しさを少しばかり増しているように感じるのだ。「カムバ」の響きだけで強くなれる気がしたよ、という気持ちである。

 

 今改めてこんなことを考えているのは、まずはTWICEのカムバスケジュールが発表されたからというのもあるのだが、極めて原義的なカムバ、まさに「彼女たちがついに帰ってきた!」を目の当たりにして打ちのめされたからである。僕は少女時代の全盛期にその活躍を追っていたわけでもなく、たまにテレビで見るよね、くらいの関心度であったのだが、K-POPに足を突っ込んでからそれなりの時間が経った今だと、彼女たちがどれほどの存在であったか、そして今回カムバしたという事実がどれほど凄まじいことなのかは理解できる。そして、MVを見た途端に彼女たちのファンの気持ちがじわっと体内に染み込んできて、なぜだか泣き出しそうになってしまった。

 僕は彼女たちが歩んだ歴史をほとんど知らないし、今回のカムバがファンや彼女たち自身にとってどういった価値の上にあるのかを完全に理解することは難しい。それでも、自分の推しにもこういう未来があったら......と、そう思わされる「カムバック」だった。