221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 とある番組で有名な気象予報士さんが、天気を当てたところで褒められることはないのに、外してしまうと文句を言われる、とぼやいていた。晴れると言われたから洗濯物を干してきたのに、という文句であればある程度の実害が出ているからまだしも、雨と言われたから傘を持っていったのに降らなかった、という言葉すら飛んでくる、と。確かに我々は、天気予報が当たることは基本的に当たり前のことだと思っているし、実際大まかな内容については盲信していると言っても過言ではない。というか、予報のほうが盲信して差し支えない精度にまで進化している。それゆえの文句であり、それゆえのありがたみの忘却なわけだが、この現象を抽象化して考えると、評価というものはどこをボーダーとして見ているかによって決定される、という話になると思う。

 あるものを評価するにあたって、意識しているかはともかく、個人がそれに対して設定しているボーダー、言い換えれば「このくらいはできるだろう」というような期待がまずあって、そのボーダーを上回った際には賞賛を、下回った際には非難を与えるメカニズムがおそらく存在している。

 それで言うと、天気予報は非常に不利な立場で、予報に「的中させる」を超える結果は存在しないにも関わらず、世間は「的中させる」をボーダーとして設定してしまっている。したがって、ボーダーを下回ることはあっても上回りようがないため、褒められないのに文句を言われる、という悲しい構図が出来上がっているのだと解釈できるだろう。そしてこれは、科学の進歩によって的中率が上昇していったからこそ、ボーダーが天井に達してしまったという例である。すなわち、期待を超えようとする弛まぬ努力が、期待値を引き上げ、賞賛される機会を徐々に減らしていくというスパイラルがこの世界には存在するのだ。

 

 例えば、TWICEを好きになって最初のカムバが『FANCY』だったら自分は何を思っただろうか。実際は好きになってから2年弱であり、そうなると自分の中のTWICEに対する期待値はすでにグッと上がっていたはずだ。もちろん、勝手な期待を毎回凌駕してくれることこそが好きであり続けている理由でもあるのだが、だとしてもきっとボーダーの違いは受け取り方や思い入れの在り方を変えうるもので、今ここにある感情は、好きになったのがあの瞬間でなければ存在しないものなのだ。みんな、その瞬間が正解!