221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 1日に更新する予定は元々なかったのだが、先週に関してはシンプルな忘却ということで、遅ればせながらこのブログの新年が明けた。明けましておめでとう、はどこか呪文のようなものであって、心の底から年明けに対してめでたさを感じている人間の割合は、そこまで多くないと見ている。いつものごとく要らぬことを考えて調べてしまったのだが、現在の正月、すなわち太陽暦1月1日の決まり方は極めて腑に落ちないものだった。簡単にまとめると、元々は農作業を始める春先の3月を1年の始まりにするような暦を作り、各月に神の名前をつけていった結果、当時の11月=現在の1月の由来となったJanusが始まりを司る神だったため、こちらが1月により相応しいということで決まったらしい。本当かは知らないけれど、さすがに舐めすぎ。そんな決まり方をした正月に特別な思いを持てと言われてもな、という感じだ。

 もっと単純な意味のわからなさで言うと、明治5年までは太陰暦を使用しており、突然12月2日を正月にすると宣言して太陽暦に移行したらしい。現在ありがたく拝まれている初日の出は、その年までは何でもない「とある日」の日の出でしかなかったわけだ。拝まれる側もびっくりだろう、急に注目されてもね。あまりにシンデレラガール。

 

 要するに僕は、理由が定かではないまま、あるいは理由に納得できないまま、何かを特別視するということに対して、どうしようもない違和感を抱き、自分と同じ違和感を共有していなさそうな世界に落ち着かなさを感じてしまう。誕生日もそうで、自分がその日に生まれたという実感は持てないわけだから、他人からの伝聞でしか特別な日にはなりようがないという曖昧さを秘めているのである。自分が誕生日に生まれたという証拠を、何らかの方法で実際に確かめた人はどのくらいいるのだろう。

 とは言え、当然ながら物事の一区切りを祝うこと自体を不自然だとは思わないので、一区切りの出自はともかく、そう希望する人たちがある種の記念日にさまざまな非日常を作り上げるのは別に良いと思う。僕はメリットのある範囲で便乗しつつ、社会から消されない程度にその盛り上がりを避けることにしているけれど。

 

 そんなことはさておき、カムバである。『Moonlight Sunrise』で実感のある日の出を拝んでいきたい。実質、20日が本番の正月かもしれない。

 はい、今年もよろしくお願いします。