221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 昔から健康診断が好きではなかった。小学校低学年くらいの頃は、体育館で身長や体重なんかを順番に測っていく、どこかスタンプラリーのような自由度の高い行事に対して、少なくともその犠牲となってつぶされている授業よりかは面白さを感じていたのかもしれない。おそらく、ゲームや読書ばかりしていたことあるいは遺伝を原因として、健康診断のたびに眼科送りの通達書が届き始めたあたりから好きでは無くなったのだろう。

 健康診断とは、健康であることを確認するための診断ではなく、自らの不健康さと向き合うための診断なのだ。逆に言えば、健康診断に行かない限り、基本的には自分が不健康であるという事実には気づかずに済むし、生活する上で特に困った事態が生じていないという最低ラインさえクリアしていれば「僕は健康です」と胸を張っていられるのである。僕は自分の弱点をわからされる体験はできればしたくないし、苦手なことはスルーして生きていけばいいと思っているので、別にそこを乗り越えたいというモチベーションも持ち合わせていない。僕が弱点を突かれると知りながら立ち向かう場面と言ったら、ポケモンのライバル戦くらいである。

 

 そう、随分と申し遅れたが、今週の中頃に健康診断を受けた。あれは『Kura Kura』のオンライントークイベントだっただろうか、それを知り合いのONCEと一緒に試聴した仮スペースのすぐ近くが健診会場で、地下鉄駅から地上に出てあたりを見渡したとき、思いもよらぬ懐かしさを感じてほっこりした。じきに血を抜かれてクラクラするというのに、呑気な話である。

 TWICEもよく健康の話をしているし、僕も彼女たちに対してまず第一に健康でいてほしいと思っている。ただ、そうやって誰もが求めていながら、完璧に達成するのがなかなかに困難であるというのもまた健康の特徴である。他のあらゆる言葉やその対義語よりも強く、「健康」という言葉のすぐ裏に「不健康」がちらつくように感じられるのは、健康よりも不健康こそが意識されるものであり、そしてより身近だからかもしれない。

 

 健康診断から解放されたその足で(本当は結果が届くまで解放されてなどいないのだが)、健康と不健康の両極のメニューばかりが並ぶ新大久保に繰り出してしまいたい気分になったが、あそこは誰かと一緒に行く街だと思い直して地下鉄駅への階段を下った。

 会いたい人と会える日まで、健康でいよう。