221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 決して大きな声では言えないのだけれど、僕はどうしても韓国音楽業界に蔓延るランキングや、それに伴う投票に積極的に参加しようという気になれない。理由は単純で、そのシステムに欠陥があると思えてならないからだ。切断で試合が無効になるかつてのポケモンバトルが馬鹿らしく思えるのと同様に、整備されていないシステムによって動作しているものに対して『HOT』な気持ちになるのは極めて難しい。

 

 音楽番組のランキングに関連して「スミン」と呼ばれるものが存在する。大雑把に言えば再生回数のことで、例えばYouTubeの再生回数がランキングに使用されるということだ。運営側としては「再生回数=人気度」であるから、再生回数という数字を一つの指標として扱おうという意図なのだろうと推測されるし、これに関しては的外れな話ではない。ただ、ファンの立場からすれば、当然この指標を利用して自らが好きなアーティストを上位に持っていこうという展開になるわけで、ひたすら再生回数を稼ぎ、今日は何回再生されただとか、再生ペースが減ってきたからもっと回せだとか、そういう体制を敷き始めることになる。

 僕はこの状態をどこか本末転倒だと感じざるを得ない。こういったファンダムの動きのせいで、前提となっていた「再生回数=人気度」の方程式は狂い始め、指標自体の意味が変わってしまっているため、純粋な人気度を測れなくなっている。また、ファンによる再生の意味も「好きだから」「聴きたいから」という感情からではなく、数字を稼ぐというだけの機械的な再生になってしまうという側面があり、本来よりも愛情の薄れる部分を避けられない。もちろん彼らの目的地は推しの受賞であり、「推しに喜んでほしいから」という愛情ゆえの行動なのは理解している。ただその過程で、自分にとって最も重要な「推しのことが好き」という気持ちが軽視されているように思えてしまい、また、そもそもこの歪んだ人気度によって決まる賞が持つ価値に対して、疑問を抱いてしまうのだ。

 さらに、Twitterで知ったのだが、最近ではスパムコメント数によって再生回数が差し引かれるようになったらしい。だからスパムを報告しろという旨のツイートだったが、誰かの悪意によって簡単に減らせる数字の意味が、もはや僕にはわかりそうもない。

 

 心を弾ませたくなったときにPOP!するだけじゃダメですか?今の時代、きっとダメなのだろう。