221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202209_1

 NiziUと初めて会ったその夜に、これを書いている。

 もっとちゃんとした感想は、これを書き上げた後にまた書くつもりで、じゃあなんでこの記事が必要なのかというと、それは年度はじめの自分が作ってしまった義務のようなものに駆り立てられているからとしか言いようがないのだが、こういうまるっきり非日常に身を置いていた日にこそ、日常の延長線上に対して記録を残すことに意味が生まれるような気もする。日記というものは、日常の中身それ自体を書き残すという役割にとどまらず、その日が日常的だったか、あるいは非日常的であったかという振幅まで記録されるべきものだと僕は思う。

 

 そしてここまで書いたことで、今日という一日が非日常的な、特別な夏の日だったということが後から読み返せばわかるようになっただろう。だからここからは、この後に書こうと思っているふわふわと現実離れした感想たちからはみ出てしまう、いや、故意に振り落とすことになる、極めて現実に即した、そしてだからこそ後で思い出しづらい話について書こうと思う。

 渋谷駅から自宅に帰るためのルートは、大学生の頃に通学で使っていたルートに内包されている。だから、19時過ぎに公演が終了し、夕飯をどこで食べようかと考えたとき、スマホで調べずとも適切な候補を脳内に浮かべることも、その中から今の気分に対する最適解を選び取ることも容易かった。乗り換え駅から少し歩いたところにあるラーメン屋。これがNiziUに会った夜の答えだった。

 ......はずなのだが、行ってみると閉店していた。『Pink Lemonade』なんかを聴きながら入店していたあの頃から、当たり前に月日は流れているのである。跡形もなく消え去った元ラーメン屋に、まだNiziUを知らなかった自分の影を残し、改めて帰路に着く。そのときふと、自宅に残っている辛ラーメンの存在を思い出す。案外悪くない着地点だと思った。いやむしろ、ラーメンを食べ損ねたことで変化した気分に対しては、もはやあの刺激が必要だった。

 NiziUを想って食べた辛ラーメンは、今日感じた気持ちと同じくらい舌をひりつかせた。

 

 どんなに特別な非日常にも日常は潜むし、なんてことのない日常は非日常によって支えられている。今日もそう思いながら、またゆっくりと日常に溶け込んでいくことにしようと思う。

 なんてったって、すぐそこに東京ドームが待っているのだから。