221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

202206_3

 TTTがしばらく更新されなくなるらしい。

 一体いつから始まったコンテンツだったのか、これまでどれくらいの数のシリーズが公開されたのか、そんな記憶や感覚が薄れてしまうくらい当たり前に更新されて続けていて、「金曜日の18時と言えばTTT」というルーティーンは僕の日常生活に深く深く染み込んでいた。この新年度において、最初に生活の変化を大きく感じさせた事象も、更新直後にTTTを見られなくなったことだった。

 ワールドツアーで飛び回っていたために撮影する時間がなかったとか、そもそも情勢によってイベント等が激減したことに対する措置としてのコンテンツであり、それらが復活の兆しを見せている今となっては優先度が下がったとか、活動形態の変化が云々とか、なぜ更新されなくなるのかという理由の憶測は、やろうと思えば多岐にわたるだろう。ただ、僕にとって、そんな曖昧な推測はどうでもいい。唯一重要なことは、一定期間(あるいは半永久的という可能性も否定できないが)TTTが見られなくなるという事実そのものであり、極めて単純に「いつまででも見続けていたいのにな」と惜しい気持ちを抱いている。

 何かが終わることや、何かが変わることに対して、人々は理由を探そうとしたり、自分を納得させるような説明を求めたりするもので、そうすることでなんとかその事実を受け容れようと試みる。このような受容のあり方は、ある種の自らの精神を防衛する働きであり、どちらかと言えば健康的な機構であるような気はするのだが、自分で作り出した説明や解釈が真実であるとは限らないと思うと、そういう思考を積み上げること自体にどことなく虚しさを覚えてしまう。だから下手に理性を絡ませることなく、終わりや変化に対する自分の素直な感情に向き合うことが最も誠実な受け止め方なのではないか、と近頃は思い始めている。いわば『Like A Fool』、ある意味馬鹿みたいに。

 

 ところで、1年前の今日は宮脇咲良さんの卒業コンサートだった。オンラインで見ていたのに号泣してしまったあの日の自分は、純粋に、そして真っ直ぐに、終わりと向き合っていたように思えて、咲良推しとして生きていた日々はやはり自分自身に肯定されて然るべき時間だったと、いま改めて実感している。

 僕の中に流れているおよそ5年もの"TIME TO TWICE"も、いつの日かそう思えるような時間になっていたら最高だな。