221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 ゴールデンウィークを休み終えたわけだが、いつだったかナヨンさんが「休日の前日の夜がいちばん幸せだ」という旨の発言をしていたことをよく覚えている。これこそ休日の真理だと思ったし、今もその考えは変わらない。幸せな時間がすぐそこに控えている状態が、実はその幸せな時間そのものと肩を並べるほどに幸せなのである。そして、僕が思う連休の価値というものは、まさにここに詰まっている。

 

 例えば、週休2日制を考えるときに、その休みがまとめて土日にあるのと、バランスよく水曜と日曜にあるのとでは、休んでいる日数自体は同じだけれど、根本的に質の違う部分が存在する。

 すぐに思いつく違いとしては、金曜日の疲労具合である。まとめて休むとは、裏を返せばまとまった平日を送ることになるため、平日最終日のパフォーマンスには期待できない。ただ、休みが飛び飛びであれば、平日が最高で3連続でしか訪れないため、そのような事態を免れることができる。いや、正確にはできそうな気がする。それから、連休だと遠出などが可能になって遊びの幅が広がる、みたいな話もあるだろうか(ちなみに、僕はどうせ部屋にこもっているのでこういった合理的価値に興味はない)。

 ただ、ここで話を戻すと、僕が思う両者の最大の違いは「幸せの連続性」である。ナヨンさんのいう通り、休日前夜が幸せだとするならば、土日休みの場合に我々が幸せを感じるのは、金曜と土曜の夜ということになるが、ここで特に重要なのが土曜の夜だ。土曜自体も休みでありながら、その土曜の夜も幸せを感じられるということはつまり、継続的に幸せを感じた状態で24時間を過ごすことができる。まさに『HAPPY HAPPY』な趣である。

 逆に、「サザエさん症候群」という言葉もある通り、日曜の夜は月曜の存在が脳内を掠めるために幸せが薄れ始めていくもので、それを加味すると日曜日は実質18時間程度しかないと言ってもいい。平日の精神的負荷の大きさによっては、もっと短く感じる人もいるかもしれない。とすると、土日休みであれば24時間+18時間で42時間の幸せを受け取れるのに対し、水日休みの場合は、18時間+18時間で36時間の幸せしか得られていないことになる。結局、与えられた自由に対して濁ることのない幸せを抱ける時間が長くなる、これが連休の価値だと僕は思う。

 

 そう、連日参戦できないコンサートの終演間際は寂しいのである。