221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 2年半ぶりのTWICEから一夜明け、昨晩感じた気持ちはまたどこか別の場所に書き残すこととして、ここにはある意味で対照的な、平凡で些細な日常について記そうと思う。

 

 TWICEとようやく会えるその前日に、いわゆる配属と呼ばれるものが定まった。それはつまり、賃金の代償としてやるべきことが明確に与えられ始める「社会」の幕開けであり、人混みをかき分けてようやく長蛇の列の最後尾についたような、哀しいほどのやってられなさを僕に感じさせる。そして、長蛇の列の一部をなしているその間は、列に並んで時間が流れるのを待つしかなくて、たまに手元でスマホをいじるくらいしかできないのである。NiziUをいくつの音楽番組で逃したか、すでに分からない。

 この地獄のスタート地点に立たされて、いま僕が思う「社会」の悪しきところは、その区切りにくさである。ここまで時間が経てばボーナスタイムとか、ここまで盤面が進めばアイテム入手とか、せめてそういうポイントでもあれば、長い道のりだとしても見えてくるものがあると思うのだが、一寸先から千里先まですっかり闇に包まれているように思えてならない。こんなことは誰でも考えていることだろうし、何ならよく言われていることだろうけれど、当事者としてその始点に立ったときの、一歩目を踏み出さんとする絶望感は書かずにはいられない。

 ただ、だからこそ、自分でその区切りを生み出していくしかないのだろうと思うし、それを生み出すのは労働の外にある時間に他ならない。ある未来の一時点に幸せを用意して、その日までは生きていくかな、という「やれやれと肩をすくめて適度に日常を送る感」を醸し出したい。とすると、東京ドーム公演を迎え終わった僕にとって、TWICEの皆さんから次の幸せの予定を教えていただけていない現状は、わりと深刻な問題なのかもしれない。

 

 結局、TWICEの話に戻ってきてしまった。いま再び『STAY BY MY SIDE』と共に去っていった彼女たちと、次に会えるのはいつになるのだろうか。勢いよく噴き出す火花や銀テープに思わず声が漏れてしまう自分自身に対して、罪悪感を背負うことなく会える日は来るのだろうか。何も決まっていないけれど、ほんの小さな何かだけでも決まってくれれば、明日からを生きていく気持ちになれる気がする。

 僕の「平凡で些細な日常」を、少しばかり照らしてくれるのがTWICEなので。