221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 あと一週間も経たないうちに、僕はどうやらTWICEに会えるらしい。

 2019年の秋頃、幕張メッセのステージで手を振りながら去っていく彼女たちに向かって、めいっぱいキャンディーボンを振り返して以来、一度たりとも空間を共にせずに過ごしてきたというのは本当に信じ難い。アイドルとオタクの関係性においてそんな殺生なことが起こっていいものなのか、という信じ難さもあるし、それと同時に、会えない間にもたくさんのコンテンツを提供してくれたTWICEのおかげで、ずっと自分の日常に寄り添ってくれていたような気がして、そんなにも時間が経っていたのか、という信じ難さも感じさせられる。

 ただ、現在の自分の心持ちを客観的に捉えてみると、「よくわからない」というのが正直なところである。Twitterにも書いたけれど、一週間後に待ち構えている幸せや衝撃が、記憶の中でどこか曖昧なものになってしまっているようだ。「確か、他で感じたことのない凄まじい感情の流れが自分に押し寄せるはずだ」ということを理解はしているが、そうやって神格化されたかつての感情をスッと手元に取り出すことは叶わない。あんなに待ち焦がれて、ずっと楽しみにしていたのだけれど、自分の身に何が訪れることをこれまで心待ちにしていたのか、その「楽しみ」の向く先をしっかりと掴むことができないのだ。そしてこの曖昧さが、2年半という時間の流れを僕に唯一信じさせる。

 

 感情というものは、比較することが難しい。楽しみだとか、緊張するとか、そうやって表現することは簡単だが、それが同じ言葉で表していた2年半前の感情とイコールかと言ったらそれは違う。TWICEに対する自分の気持ちも、自分がTWICEを思いながら送る日常も、時間が経つにつれて(上下するだけではなく様々に)変化している。だから、今の「よくわからない」という感情も、良い悪いみたいな基準で比較可能なものではないし、別の言葉で上書きせず、自分の現状として誠実に受け止めるべきものなのだと思う。

 

 とはいえ、Dreamdayの映像を摂取して、東京ドームの高揚感に慣れておいた方がいいのだろうか。『One More Time』のイントロと共に、幕の後ろからTWICEが0秒で現れるあの興奮を再確認して、これが一週間後の眼前の景色だと、自分にわからせるのが身のためだろうか。

 

 いや、すべて自分自身の目でわかることにしよう。