221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 この4月に満ちている空気は、ポケモン本編の殿堂入り後に漂い始める少しばかりの虚しさに似ている。

 物語がひと区切りついてしまうと、自由に冒険していいよ!なんて言われても、その自由さを楽しむことはむしろ、不自由な物語の中で楽しむよりも遥かに根気のいる作業であるという場合がほとんどである。ポケモン図鑑を埋めるだとか、対人戦に勝つためにポケモンを育成するだとか、そんな時間のかかる作業を楽しめるのは一握りの酔狂な人間だけで、それ以外の健全な人間にとっては、殿堂入りこそが最終到達点と言って差し支えない。

 さて、どうやら僕はこの3月に人生の「殿堂入り」を果たしてしまったようだ。そして、ポケモンの世界でなら楽しむことができていた殿堂入り後の冒険も、人生というリアルの世界を舞台にされるとなかなか楽しめなさそうだなという、初めから分かりきっていたはずの絶望を今更ながらひしひしと感じている。

 

 残念ながら貴重なものとなった休日も、何となく過ごし方を忘れてしまったみたいで、JYPの音ゲーをやり、ポケモンの構築を微修正していたら、するりと終わっていた。ちなみに、TWICEの楽曲では『LIKEY』が最後までフルコンボできなかったのだが、実際のダンスの動きと近い形で流れてくるという洒落た仕掛けのノーツを、一つ残らず全て拾えたときの達成感はなかなかのものなのでおすすめしたい。

 一方で、今まで頻繁に感じていた「休日ではあるものの、やるべき作業がずっと残っている漠然とした焦燥感」は払拭されたようだった。というか、その焦燥感が一生続きそうなのが嫌で「殿堂入り」を済ませたわけだから、当然と言えば当然の恩恵である。それでも、あまりに何もしないことには不慣れだから、今これを書いているのかもしれない。別の理由を付け加えるならば、大人(「大人」という呼称の悪について僕の好きな芸人が書いていたが、あえて「大人」としておく)にこれからの人生でやるべきことを教えられたので、それに対する「やっている感」を出すためかもしれない。それから、これは今思いついたけれど、大掛かりな謎解きの一部にできるかもしれない。

 

 とは言え、僕はまだ何かを解るほどではなくて、今はぼんやりと抱えている「嫌さ」を、この先どうにか捕まえながら暮らしていくのかなと、これまたぼんやりと思っている。

 

 そんなことより、アヤカとリマのコンセプト写真好きすぎるね。