221番道路

『しんかいのウロコ』を持たせて通信交換

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 今週はなぜだかめちゃくちゃオンライン麻雀をプレイしてしまった。どうやら麻雀にはハマる周期みたいなものが存在していて、今みたいに片手と頭さえ空いていれば常に打ち始めるような時期と、そんな遊戯がこの世に存在する事実すら忘れるほどに全く触らなくなる時期とが、比較的長いスパンで交互に訪れる。特に準備も必要なく一試合が短いゲームというのは、それを始めることの精神的ハードルがあまりに低く、ハマる時期にはまるでそれが最も手近な幸せかのように、とことん繰り返して時間を費やしてしまうという傾向がある。まさに「塵も積もれば山となる」の典型で、例えばとんでもない不運による連敗などを経てふと我に返ったとき、それまでに費やした多大なる時間をようやく知り、この船から降りようと強く決意させられるのだ。この強烈な感情の波が周期を生み出しているのだろう。

 

 僕は麻雀に限らずゲームが好きすぎて、こういった取り返しのつかないくらい時間を費やすという蛮行をやりがちだ。どんなゲームも一度始めるといわゆる「やりこむ」ところまで手を伸ばすことを避けられず、側から見たら異常とも思える遊び方でそのゲームで得られる楽しみを吸い付くさんばかりの勢いでのめり込む。最近であれば『SUPERSTAR JYP NATION』なるリズムゲームに日々の時間を定期的に流し込んでいるわけだが、裏を返せば、その時間を使って他の人たちが体験しているさまざまを味わうことなくここまで生きてきたということで、そのさまざまの中には人間関係、あるいは青春と呼ばれる何かも含まれている。

 要するに興味を持つ対象や熱量のバランスが違うという話で、僕は他人との人間関係の構築よりも他人とのゲームで勝利することに価値があると思っているし(この嗜好が永遠に続かない場合には後悔するのかもしれないが)、その一時点での幸せは達成できている。ただ、僕が嬉々として新着の『Fanfare』フルコンボを狙っている間に、結婚式のファンファーレ目掛けて着々と人生を進めている人間もいる。なんならそちらが正常かつ多数派なので、たとえ同じアイドルオタクから見ても、僕はきっと何かが欠けた人間とみなされ、いつまでも成長しないとして軽蔑され、また孤立していくのかもしれない。

 

 多数派から突きつけられる「普通」の刃をかわしながら、刹那的に好きなものを追いかけ続ける幸せを明日からもやっていきます。